KOBE ART MARCHE

Interview 08 / Arina Tsukada

昨日より今日、今日よりも明日昨日より今日、今日よりも明日

美術家の横尾忠則さん。唯一無二の色使いと、その独特の世界観で絶大な人気を誇る、日本を代表するアーティストだ。“横尾忠則”の名は国内のみにとどまらず世界にも轟き、現在までにニューヨーク近代美術館、ステデリック美術館、カルティエ現代美術財団など、世界各地で個展を開催。ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ金賞や紫綬褒章、朝日賞など数多くの賞を受賞した経歴を持つ。79歳になる今も精力的に作品を発表し続けている横尾さんのアトリエは都心部から少し離れたところ、緑に囲まれた東京の郊外にある。麗らかな春の日、横尾さんのアトリエを訪ね、アートに関する様々なお話しをお伺いした。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

アートの世界に入るきっかけを教えてください。
子どものときから絵を描くのは好きでした。当時は模写すること=(イコール)絵だと思っていたんです。自分のイメージで絵を描くとか自分のスタイルで描く画家にはあまり興味がありませんでした。むしろ、人が描いたものを模写することに熱中していました。
絵を描くことを職業にしようと思ったのはいつころですか?
高校時代には油絵をやったり、絵の経験は多少あったんですが、絵描きで食べていくなんて針の穴にらくだが通るぐらい非現実的なものだと思っていました。職業的に絵を描き始めたのは18歳の頃です。デザイナーとして神戸新聞社に入社しました。それが最初のきっかけですね。その道で身を立てられるかどうかは確信はありませんでしたが、少しずつ小さな賞を受賞し始めて、“もしかしたらプロでいけるんじゃないかな”と思ったんです。

アイデンティティの確立

横尾さんの作品はどれも作風が違うようにお見受けできます。
固定した主題と様式を決めてかかるのが美術界で言われる"作家のアイデンティティ"だと考えています。ぼくの場合は、自分の主題と様式でアイデンティティを練ることに自信がなかったんです。食事で言うとね、朝昼晩同じものを食べ続けていると飽きちゃう。絵も同じです。ぼくにとっては、バラバラのことをやることが、むしろアイデンティティなんです。作家や俳優業なども経験しましたが、やったことないことは仕事の依頼が来た時じゃないとできないし、依頼がくれば「よし、じゃあやってみようか」という思いで引き受けてきました。

創る時間

1日のスケジュールをお聞きすると、起床してアトリエにやってくるのが10時。そこから夕方6時までは絵を描くこと、人に会うこと、小説やエッセイなどを書くことなどに時間を費やしているという。絵の制作に充てる時間はどのくらいなのかを聞いてみた。
絵を描く時間は決めていません。描かない日もあるし、ずっと描き続けるときもある。ぼくの場合、2枚以上の絵を同時に描くことが多いですね。絵を描くのは体力を消耗するけれど、描くことによって逆に体力がエネルギー化するっていうこともあるんです。制作の総時間はサイズや中身にもよるけれど、緻密な絵の場合はけっこう時間を使います。
公開制作もやられていますよね。
はい。美術館で公開制作をやることがあります。そのときは午後いっぱいで大きい作品1枚描き上げます。見られていることを逆に利用して「早く描き終えて解放されたい」って気持ちを意図的に作るんです。そうするとアトリエでじっくり描くのとは違う野放図な作品が出来上がります。
横尾さんにとってライバルになるような存在はいますか?
若いころはみんながライバルでした。歳を重ね、自分のスタイルが見えてきてからはライバルが必要なくなったんじゃないかな。強いていえば自分の中にいる怠けものがライバルですね(笑)。

追わずに待つひらめき

グラフィックデザイナー時代から数えて50年以上のキャリアを持つ横尾さん。ポスター作品だけでも約900点にのぼるという。それほどの作品数を描いてきた横尾さんにとって描くこととは何なのだろうか。
目的を持ってなにかやるようにと教えられてきたけど、目的なんてないです。描くこと自体が目的ですね。描いた作品がどのように自立していくか、それはぼくの知ったこっちゃないんです。作品を扱う人間の問題で、描く側の人間は出来上がった作品については興味ないんです。
スランプになったりしますか?
全然描けないときはあります。それを世間的にはスランプっていうんですかね。そういうときは無駄な努力をしないで、描きたくなる時期をひたすら待つ。気分転換に別のことをして絵から離れるんです。無為な状態も大事なんですよ。テレビや雑誌を見たりしているときにヒントを得たり、散歩をしているときにふと浮かんだり。浮かんでくるひらめきを、こちら側から追い求めるのではなく、向こうからやって来るのをただ待ちます。
絵を描くとき、心がけていることはありますか?
ぼくは常に新しくありたいと思うんです。昨日描いた絵と今日はできれば違う絵を描いてみたい。絵がどのように変化して発展していくかということは常に考えていますね。考えているけれども、段取りを立てるというのとはちょっと違う。絵を描いてる最中に絵が変わることがあるんですよ。それはぼくにとっては発見なんです。
作品のモチーフやインタビューで「死」への言及が多くありますが、年齢を重ねていく中で死への意識は変わっていっていますか?
20代のころからずっと死に対して関心を持っています。絵を描いてもデザインをしても、どこかに死のイメージが結びついてるんです。若くても事故や病気で明日死んじゃう人がいるわけだから、何歳まで生きられるかなんて誰も分からない。明日死ぬか、明後日死ぬかみたいな感じは、若い時からずっとあります。歳を重ねるとともにその感覚はもっとリアルになってきています。
横尾さんにとってアートとは何でしょうか?
アートには目的はないんですよ。何をやってもアートなんじゃないかな。描くこと自体が目的で何かのための大義名分で描いてるわけじゃない。ここに描いてある絵は注文された絵じゃないわけだから。売れるか売れないかは分からないものばかりです。「買いましょう」というのは相手の発想ですからね。ぼくがその発想を持ってはダメです。アートがどうして存在するのかということですら、自分で決めるのではなくて外部や時間、時代が決めたりするものだと思っています。

自然と共に生きるということ

横尾さんのアトリエは、東京とは思えないほどの木々に囲まれている。ちょっと坂を降りればのどかな小川が見えてくる自然豊かな場所だ。
ぼくは自然が近くにないとダメなんです。自然がないと人間はやっぱりおかしくなりますよ。ぼくらの子供のころは自然の中で生きていて、自然の事物の中には精霊が宿っているというアニミズムの考えがありました。今の人たちはバーチャルの中にしか自然がないと思っているんです。
バーチャルの世界で完結しちゃっているということですよね。
そうです。そうするとバーチャルが現実になってくるんです。パソコンがあればネットで検索して行った気になるでしょ。体を移動するということがないんです。肉体感覚を喪失していくというのが、その人のセンスも殺すんです。体を移動させて、その中に感覚あるいは感性が冴えてくるんですよ。今はなんでもかんでもパソコン内で「全部お見せします」みたいになっちゃってるところがあると思うんですよね。そうすると人は移動しなくなっちゃうんです。若い人たちはパソコンの前に座ったままでほとんど移動していないんじゃないかな。

ただ己の道を往け、己の絵を描け

2012年、神戸市に横尾さんの作品が数多く収蔵される横尾忠則現代美術館が開館した。神戸は横尾さんにとってキャリアを積むきっかけとなった土地だ。
神戸は、ぼくが郷里から出てきてはじめて仕事した場所。住んでいた時間は短いけれど、思い入れがある好きな街です。不思議なことに神戸時代、ぼくの美術館から見える山の裾野に住んでいたんですよ。住んでいた街に美術館が出来てそこへ戻って来たというのはご縁ですね。シャケっていうのは卵を生んで海へ行くじゃないですか。ぼく自身、長い間海へ行って自分が育ったところに戻ってくる。そこで作品を並べる。つまり卵を生むわけです。なんだかシャケになった気分です(笑)。
現在の日本の美術界についてどう思いますか。
商売のことしか考えていないんじゃないかな。作家が明日売れるか売れないかみたいな。その作家が売れようが売れまいがつぶしちゃうことも平気ですからね。バーンと花火あげてアジアのどこかの国に持っていって、展覧会が終わったらそれ以降全く売れない。そんな作家いっぱいいますからね。だからいきなり若くて評価された作家っていうのはやっぱり気をつけないとね。アメリカでもそうですよ。80年代にジュリアン・シュナーベルという世界中を席巻した“ポスト・アンディーウォーホール”みたいな作家が出たんですよ。今言ってごらん。「それ、誰?」ってことになっちゃうんです。
たくさんの作品を世の中に送り出していますが、次の世代にひとつだけ作品を遺すとしたら?
作品のどれを遺すか遺さないかはぼくが決めるべき問題じゃなくて、人や社会が決める問題。最高傑作といえるかどうかは分からないけど、いつも今描いている絵が自分にとっては一番新しいわけですから、そのことしか考えないですね。今という瞬間がそこに凝縮されている。それが今の自分には一番新しいわけなんです。明日があると今日の新しさは明日の新しさにはかなわない。その繰り返しです。
美術家を志す若者へなにかメッセージをいただけますか。
ぼくが若い時は、今の人が最初に考える「食べられなかったらどうしよう」という意識を持ったことはありませんでした。ぼくらの時代は今食べることに一生懸命だから、明日なに食べようなんて考える余裕がなかった。今の人は将来を気にし過ぎていると思うんです。若い人たちは「早くギャラリーで展覧会をしたい」「有名になりたい」という思いで描いている。そうやって描いていたら、他人の目を意識したものしか描けなくなるんじゃないかな。

ARTIST PROFILE

横尾忠則

美術家。兵庫県西脇市生まれ。西脇市名誉市民。 神戸新聞にてグラフィックデザイナーとして活動後、イラストレーターとして独立。80年台に入ると、”画家宣言”をし、美術家としてのキャリアをスタートさせる。そのほか小説の随筆など様々なジャンルでマルチに活躍している。
1969年第6回パリ青年ビエンナーレ版画部門グランプリ、1974年第5回ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ金賞、2000年ニューヨークADC殿堂入り、2001年紫綬褒章、2011年朝日賞、旭日小綬章、そのほか数々の賞を受賞。作家としても2008年、第36回泉鏡花文学賞受賞。2013年には神戸新聞平和賞を受賞した。

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